
今からちょうど10年前。
平成12年10月6日13:30頃、マグニチュード7.3の「鳥取県西部地震」が発生しました。
当館が平成11年11月に新築グランドオープンして1年に満たない時に起こったこの地震について振り返ってみたいと思います。
【地震の概要】

この地震は死者こそ出なかったものの、甚大な被害を鳥取県西部に及ぼしました。
重傷20人、軽傷77人、全壊家屋が338戸、半壊1939戸にもおよびました。
震源地の日野町は震度6強。付近の山間部もおおむね震度6弱。
米子市は震度5弱でしたが、かなりの揺れが走りました。
遠く境港市は地震エネルギーが北西に走ったことと、砂州の地盤でもあったためか、震度6強という震源地並みの揺れで多くの家屋が倒壊しました。
我が皆生温泉も激しく揺れましたが、旅館建物の物理的損傷は軽微でした。
しかし、建物の倒壊写真(下)が全国ニュースで繰り返し流され、また余震がある度にニュース速報で報道されました。
その風評被害によって宿泊予約者のキャンセルが相次ぎ、
秋の行楽シーズンにもかかわらず、
ほとんどの旅館で宿泊ゼロが続きました。

震源地近くの日野町などの山間部では上水道設備が破損し、水道も出ず、お風呂にも入れないと報道されました。
断水戸数は5,793戸、濁り水は1,370世帯にものぼっていました。

【松月と西部地震〜罹災者へ大浴場無料開放】
地震の翌日。
旅館はキャンセルでお客様は一人もおらず、開店休業状態。
当時から開設していた当館のホームページで地震被害は大丈夫と発信しましたが、ひっきりなしのキャンセル電話の対応に追われていました。
その日の深夜、警備員から連絡があり、ご家族連れのお客様から
「近くの公衆浴場の営業時間は終わったのですが、
こちらの旅館ではお風呂に入れますか?」
と聞かれたとのこと。
通常であれば断りますが、よく聞くと
「地震罹災地の家族の方で、お風呂に入っていないそうですが・・」
と警備員は言います。
すぐにお風呂を開けるように指示し、お入り頂きました。
お客様がいない旅館ではあるけれど、
湯船にはこんこんと温かい温泉が入っております。

私たちにできることは、これだと思いました。
心身共にまいっておられる罹災者の方々に、
少しでも緊張と疲れをお取り頂くために、大浴場を無料開放しようと決心しました。
翌朝、まだ混乱しておられる日野町さんや旧会見町さんを初め、山間部の役場に電話をかけて、当館のお風呂を無料開放しますと伝えようとしました。
しかし多数の罹災者の方や報道陣などでごった返しておられた様子でなかなか趣旨が伝わりません。
そこで、下記の「地震の見舞いと大浴場無料開放」のファックスを役場宛てに流しました。(まだパソコンに当時の文書がそのまま残っていました!)

すぐに役場の担当の方が掲示板(メッセージボード)にこの文書を掲示され、電話がひっきりなしにかかってまいりました。
日野町では自衛隊の簡易風呂による入浴サービスはまだ始まっておらず、2日間も混乱の中お風呂に入っておられなかったとのことです(自衛隊も当館と同じ10月8日から開始)
その日から連日、予想以上に多くの方がお越しになられ、当館の大浴場では一度に男女20人程ずつしか入らないため、ロビーまで長蛇の列になりました。
スタッフには臨時休暇を出していましたので、女将と若女将と私ほか数人で混乱状態の対応に追われ、入浴まで数時間待ちという状態になってしまいました。
せっかくお越しになられたのに随分とお待ちいただいたことが、未だに申し訳なく思います。
しかし、当館のこの大浴場無料開放は多くの方にとてもお喜び頂き、多くの方に今でも覚えていて頂いておるようです。
当時入浴された方からふとした折にあの頃の話をされると、混乱で申し訳なかったという思いとともに、少しでもお役に立てたと思うと嬉しく感じます。
当時は生活に一番大切な水道ライフラインの破損で、罹災者の皆様は不自由な生活を強いられたことと思います。

【住宅補助金〜片山善博前知事の英断】
ライフラインの復旧も1週間ほどで終わり、当館の大浴場無料開放もその使命を終えました。
罹災地では、行政をはじめボランティアの方々のお陰で復興が進んでいきました。
鳥取県では「被災者向けの住宅復興補助金」で、建設に付上限300万で県が3分の2の補助を出すという、異例の措置を片山前知事がとられました。

冬季を前にして、生活基盤として大切な住宅の再建が困難を極めるなど深刻な状況が生じており、被災者が安心して生活できる生活基盤を支援することによって、被災市町村が活力を失うことなく力強い復興に取り組むことを可能にするため、住宅本体の再建に補助金を交付するという、鳥取県独自の新たな住宅再建支援を行いました。
「仮設住宅は解体費用も含めて1軒あたり300万円〜400万円程度かかるが、いずれ壊すものに補助金があるのに、個人財産として残る場合はダメというのは割り切れない。
税金で仮設住宅を大量に作るのを控えて住宅再建を補助する、という考え方はありえる。私的な財産に公費をつぎ込むことの是非は問題は依然として残るが、背に腹はかえられない」(片山知事談)
片山知事は、悩んだ末、被災地の真の復興を願って異例の制度導入に踏み切られました。
県が民間の住宅に補助金を出すということは異例中の異例で、過去に前例がないなかでの前知事の英断は、伝説として長く語り継がれております。
災害復興における居住福祉の重要さは片山前知事の信念でもあります。
参考文献:
住むことは生きること―鳥取県西部地震と住宅再建支援 (居住福祉ブックレット)
【皆生温泉の風評被害】
片山前知事には風評被害による宿泊者減少を食い止めるのにも、大いに力になって頂きました。
当時の県の上級職さんに電話で風評被害で困っていると電話でお伝えすると、すぐに知事に掛け合っていただき、わずか30分後の会見で皆生温泉の名前を出して頂き、建物の被害はないと言って頂きました。
その後の災害対策本部の記者会見で、「皆生温泉などの宿泊施設の建物の被害は軽微だ」と繰り返し繰り返し発表して頂いたことを、今でも鮮明に覚えております。
結局、10月末まででの鳥取県の宿泊者キャンセルは約8万人、15億9千万円にのぼりました。
平成12年は皆生温泉開湯100年の年でもありました。
「元気いっぱい!鳥取県」のスローガンのもと、皆生温泉も元気だということを発信させていただきました。

【震災から1カ月後の平成12年11月4日 皆生温泉まつりでの様子】
各旅館から食器などを持ち寄り、廉価で販売するチャリティー掘り出し物市が開かれました。
災害はたくさんの人々に多大な被害を及ぼします。
極限の中でも、お互いが助け合って、たくさんの人の善意で支え合えるのだと感じた震災でした。

